【考察】医療従事者にありがちな「治療してやってる」について

今回は医療従事者にありがちな治療してやってる。について

医療従事者の皆さんは

「アノ患者の疾患を治した。」

「○○という症例を治療した。」

という話は日常的に為されるのかと思われます。

そして、得意な疾患、不得意な疾患など専門性とは別にそういった得手不得手を自慢げに話す医療従事者も少なくはありません。

この話は論文ベースというわけではありませんが、心理学上や経営学上から考察した内容を紹介します。

治療した

治療した!ということは医療従事者ならば言ってしまうワード。

正確にはこのワードを使えるのは「医師」が行う医療行為を指すようで、
医療従事者なるコメディカルが医療類似行為に該当するのは「施術」というワードになります。

ここでは言葉遊びをするわけではなく、治療してやった、治療した。という烏滸がましい考えを考察することとします。

そもそも我々コメディカルが施術を行う際に、症状が改善出来ても我々が治療したわけではありません。

患者、クライアント自身の生体機能に働きかけ、自己治癒能力を高めるようにアシストした結果、症状が軽快される。ということが我々の行う介入の結果となります。

それを恰も自分が介入したことが「治療した」という観点になる。ということはどういったことなのか?についてどうお考えですか?

考察

医療類似行為とは言え、一定の専門的知識を用いて介入します。

専門的になる。ということは他の専門外の人からすれば賞賛される対象となり得るわけかと。

ということは、コメディカルで治療した!と言い張る人には「承認欲」が人より強過ぎるのかもしれません。

認めて欲しい!凄いって言って欲しい!役に立って褒められたい!

誰しもがそういう感情は用いてしまうものです。

そして、自分の価値を認識するためにも否定されることは好みません。

自分自身が介入した内容に不満や良い結果が得られない時は、
「あの患者、クライアントはとても気難しい。」
「あれだけ治っているのに、とても細かいことまで気にする。」

という言い訳をして自分の介入の非を認めずに、正当化することを行いがちです。

技術や知識、経験が豊富になればなるほどこの傾向は強くなるのかと考えられます。

患者やクライアント視点からすると非常に迷惑な話で、
コメディカルの知識や技術を称賛するために頼っているわけではないです。

自分自身の悩みを解決したくても、自分だけで解決できないので専門家を頼るのかと思われます。

医療従事者keisが理想としたいこと

私自身は学歴も無ければ、知識も経験も少なく治療してやってるなどの考えに至るに足らない人物であることは十分に理解しています。

その上で仕事として患者、クライアントが頼ってくれる現状もありますが、
私に出来る最大限と足りないことは調べる、新たに身に着ける、最適を見つけ紹介するなどのことを心がけてはいます。

理想とし、行動し続けるには「患者やクライアントが求めることに応える」ということ。

簡単に思えますが非常に難しいことなので、心理学や経営学、語学など人の感情などに関する勉強はしていますが、「応える」という難しさを日に日に実感します。

まとめ

考察になりますので、異論反論などはあるのかと思われます。

しかし、一個人の意見としてご覧頂けましたら良いですし、
今悩んでいる人の役に立てるように書いているつもりです。

知識や技術は学んでいるけど患者やクライアントの支持が得られない。

支持を得る前に自分を認めて欲しい「承認欲」が強すぎるとヒトは避けるもの。

改めて何のために医療従事者になったのか、目指しているのかを考えても良いのかと。